おまえさがして-小金沢昇司 作詞 吉田旺 作曲 桜田誠一
一 逢いたかったぜ ばかやろう... 何処で 泣いていた 噂たぐって 西東 おまえ探したぜ 泣くなもう二度と 俺をはなすなよ 生きていてくれたそれでそれでいい 二 痩せてやつれてばかやろう... 苦労したんだろ 飮んで語ろか 二年振り なみだ洗い酒 どこに置いてきた あんないい笑顔 思いだすまでよ 抱いて 抱いてやろ 三 何も云うなよばかやろう... 俺の眸を見ろよ 広いこの世で道づれは おまえ一人だぜ たとえ世間がよ 前途じゃましても 守り拔いてやる 惚れて惚れてやる
重要文化財 11,西本願寺 西本願寺(にしほんがんじ)는 京都市 下京区에 있는 浄土真宗 本願寺派 本山의 寺院입니다. 正式 寺刹이름은 本願寺(ほんがんじ)이며 같은 下京区内에 있는 東本願寺(正式은 名称은 真宗本廟)와 区別하기 爲해 “西本願寺””お西さん”等으로 불려지고 있습니다.
宗祖 親鸞(しんらん)聖人이 入滅 後 막내딸의 覚信尼(かくしんに)가 西紀1272年에 現在의 京都市 東山区 林下町(知恩院 三門 北쪽 崇泰院近處)에 廟堂을 꾸며 遺骨을 安置한 것이 本願寺의 発祥입니다. 그 後 廟堂은 内紛으로 破壊되었지만 3代 覚如(かくにょ)가 再建하여 専修寺라고 아름을 부치고 거기에 本願寺라고 改称했습니다. 그 後 各地에 寺基를 移転해오고 西紀1591年 豊臣秀吉에 依해 절의 땅을 寄贈받아 天満에 있던 寺基보다 現在의 本願寺의 寺基인 堀川六条로 移転합니다. 廟堂은 江戸時代初期 東山 五条坂 西大谷로 移轉하여 現在의“大谷本廟(おおたにほんびょう)”가 되었습니다.
本願寺의 教如(きょうにょ)가 徳川家康에 依해 本願寺의 東쪽으로 寺領을 받아 西紀1602年에 本願寺가 二個로 나뉘어 젔을 때 12代의 教如가 되어 새로 연 절을 東本願寺라고 불렀기 때문에 그것까지를 本願寺와 西本願寺라고 通称하게 되었습니다.
幕末 期에는 京都를 지키는 剣客集団 新選組의 本拠地가 되고 現在까지 400年 以上에 걸쳐 移転되지 않고 있습니다.
作成者 黃圭源 | | |